"つくる"
"つくる"って、どんなものですか?
この桃って
今年の桃って
誰が作ったものなのだろう
当たり前のように、
ここの畑を持つ人がつくったものだと
考えていたけど
そんなに簡単な話では
無いような気がしました。
果物を"つくる"
という言葉自体
人間が人間主体で生きていることを
表すような言葉である気もする。
けれど、全く私たちが何もしない
のでは、果樹を美味しく食べることができない
"私がつくった桃です"
どこからがその基準を満たすのか
私だけが考えていても
なにも答えは出ないと思っていて。
私はイチから自分で初めて作り上げてが
"つくる"の基準だと思っているから。
私なりの線引き
生産する人の線引き
生産したものを使う人の線引き
それぞれが違うから
色んな人に聞きたいのです。
素人が普通は絶対にやらない
桃の仕上げ摘果をやってみないか
とのお話しをもらいました。
農家さんの収入に直接結びつく作業。
ただ実を見て間引くというわけにはいかない
樹を見て樹から枝を見て枝から葉を見て
実を初めて選んで間引く作業だと思う。
日当たりとか、着色。一度に膨大なことを考えながらの作業をこの暑い暑い横手盆地の青い空の下で。
責任重大。
父の言う通り農業の"の"の字も知らない私が
やっていいことではないのはわかっています。
けれど、
仕上げ摘果をしたその一本の桃の木で
私の中の"つくる"が変わるんじゃないかな
って、思っている自分もいます。
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