収穫
八月半ば、今、桃が旬です。
朝獲れた桃を直売で買って、冷蔵庫に冷やしてから、ひんやりと冷えて柔らかくなった桃を三時のおやつでつまむ。そんな季節になりました。
大雪の冬に雪を掘り、早く来た春に揚げ足をとられないように冬の片づけをしているうちに桃の花が咲き、そのあとは摘花摘果の日々。そして夏が来ました。
今まで緑色だった桃が一気に色づき、畑を染めていました。
細川さん曰くそれはまさしく「桃が(収穫しろと)待っている」状態で。
今か今かと待ち構える桃に急かされるように、「あかつき」の収穫に携わらせていただきました。
毎朝、毎夕二度に分けて収穫を行う中の、毎朝に参加させていただいて、気づいたことがありました。
桃の実をもぐときは、両手で実を包み込んであげて、押し傷がつかないよう掌にちょっとの力を込めて引っ張ってもぎます。
そのときに生まれる『プツッ』っていう瞬間。
最初のうちは、めったに見ることがない桃の実を可愛い可愛いと愛でていたけれど、次第に違和感?、、、、、というか、なんだろうな。今までとは違う感覚になりました。
うん、なんだろう。今まで愛でていた桃が、樹から離れたことで、まったく違うものになった気がしたのかもしれない。
日々成長する樹々を、私自身と同じ生き物として今まで見ていたのに、樹から実が離れ、それが消費者の手に渡る瞬間を見たとき、それらが生き物でなくなったように感じたのです。
この感覚に気づいたときから、少しもやもやしていたところがあって。
収穫が楽しくない、 のです。
大雪を乗り越えて、桃と一緒に頑張った、そんな桃を収穫できて楽しいはずなのに、どうして?
楽しくなかった。
以前、除雪をきっかけに農業に携わる前まで、農家さんって私の中では「JAへの出荷を淡々と行う機械のような職業」だという認識がありました。
今思うと本当に失礼だなと思うけれど、当時の私がそう思っていたことは事実なので偽りなく記述します。
けれど細川さん含め果樹農家さんと深くかかわるようになってからは、農家さん一人一人の熱さと果物への愛に感動して、感化されて、、、自分もそうありたいと思うようになりました。
「農家」っていう、もの凄くときめく職業に生まれて初めて出会えたのです。
そう思って農業に携わってきたからこそ、「収穫」「選果」「出荷」の作業がものすごく機械的であること、機械的にならざるを得ないところが私にとって少し悲しかった。
農家のリアルを知りたくて飛び込んだはずなのに、いざ壮絶なリアルを目にして、怖気ずいちゃった。
わたし、今農業楽しいのかな、って思っちゃった。
農業にたずさわることを辞めるのはいつでもできる。
けれど、「楽しくない」けど、「辞めたくない」のも事実。
収穫が楽しくなかろうと、太陽に照らされてどれだけ暑くて日焼けをしようと、ふってくる桃の毛で皮膚を傷めようと、嫌いなカエルが枝から落ちてこようと、雨が降ろうと、
自然と向き合うことはやめたくない。
自然の中にいる自分の時間軸を可視化させてくれる果樹たちと向き合うことをやめたくない。
今は、楽しんで農業をやれている自信はないけれど、それでも続けたい。
「続けたい」と思った先の、「続けている」自分の感覚を大事に生きたい。
農業の「の」の字も知らないわたしですが、日々、わたしなりの
桃と、農業と、自然と、人との向き合い方を模索しています。
なんか、書いてること、6月と変わらなくない?って、ちょっと書いている本人思っちゃったりしているんですが、確実に変わってるの、自分の中のきもち。
そしてこれから待っているのは、桃の大御所、川中島白桃。
戦争らしい、、、、不安はたくさんあるけれど、そんなのみんな一緒。
この夏、毎日自分がやりたいことに触れることが出来ていることにめいっぱい感謝して、残り少ない夏、たくさん吸収していきたいのです。
結びに、今私が確実にいえることは、
私はやっぱり、いきものと寄り添い合っていきる、一緒につくる側でいたいです。
ということ。ここまで読んでくれた皆さん、ありがとう。
まとまりのない文章でごめんなさい。
せば、また。
PS、最近、秋田弁がうつりつつある。なんとする?
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